気分悪い。
よーく考えると、相手が悪いんではなくて、自分に向けてる刃(やいば)だ。
ひどい絵をある中央画壇に出す友達に対して、怒っている。
王女にその作品を見せて、「どう思う?」って聞かれたから内心( ヤバイ、ひどすぎる。これでは会も困るでしょう、ヤ、ヤバイすぎる) と思う以外に言葉がない。
最低でも何箇所か手を入れて出品したらとアドバイスしたが、それもせずに出品するんだって。
彼女は92歳という年齢を盾に、出品会場に車椅子で息子と娘に付き添われて出かけていく。
会の重鎮に作品のどこを直したらいいですか?と伺うと、みんな異口同音に「貴女らしさがなくなるから、」と口を濁すんだそうだ。
ちょっとやそっとで直せる出来ではない。
まず2mx1.5mの大きさの絵には、しっかりした構図を作らないでは描けないでしょう。
「先生方がもう少し小さい作品でもいいですよと言われる。」とは、貴女にはこの大きさでは描ききれていないから無理という意味だよ。
引きのない狭いアトリエで、上にも手が届かずぶっつけで色を置いていく。(もちろん以前はそうではなかっただろうが。つい5年ぐらい前までは基本ができていないけど、それなりに元気のいい絵として、頑張っているなと思っていた。)
今は長く立っていられないから、いい加減にキャンバスが色で埋め尽くされたら終わりにする。 疲れるし根気が続かないから集中できないと本人の弁。
後ろに下がって眺める場所もないから、全体像が把握できない。
そんな状態で「どうして出品するの?」「いや、落選したらもう出さないよ。」
もう30年も一般出品していて、2、3年前に会友?だか準会員になった。
会としても、落とせないのだろうな。
そしたら自分から辞める決心がつくといいけど、本人は中央の画壇に参加していないと生きる意欲がなくなるのを心配している。
この田舎でも、絵を描くおばあさんとして一目置いてもらいたいんだ。
こんなに怒りを持って、彼女の引き際を批判するのは、誰にでもいつか「その日」が来るんだと、意欲が衰えている自分のことを省みるからか?
絵に対していい加減な気持ちでやるなら、やめろ! と自分に刀を突きつけているのだ。
ニューヨークのルカキ先生が「desire」が無くなったからもう絵は描けない。だから教える方に回ったのだよ、とおっしゃっていた。
「desire」は絵を描く欲望だと思っていたが、つまり「意欲」なんだ。
描くことによって認められたい、作品が売れればいい、所属の会で偉くなっていきたい、そうすることで弟子を増やしたい・・・・そういう不純な想いでも、(若い頃なら王女は不純だ!と怒りまくったが、)今はそれも「意欲」の一つと思える。
引き際は難しいね。
我らの<視点ー12の個>展も20年近く続いたが、今年の秋が最後の年になる。
ラベル:友だち