「今3人で酒飲んでいてサ、今度同級会やろうってなったんだ。都合はどう?」
A君とD君とK君からだ。
「いいよ、先生も(・・・お誘いして・・・・、はて?担任の先生は生きている?亡くなった?)・・・(確か亡くなったんだったよね)・・・お・葬・式・・・」と自信なくここまで言ったらK君が「その報告も有るからサ」
そうだ、先生は亡くなったんだ。
確か2年前の暮れに男子には喪中ハガキが来たが腕組み王女には何もこなかったからその年のいつに先生が亡くなったかも知らないでいた。
お線香だけでもあげに行きたいと男子だけは集まって行ったそうだ。
女子に連絡を回したが、先生の息子さんだかが「あまり大勢で来られても・・」という返事だったそうなので、迷惑でしょうからと誰も行かなかった。
その時は男子は本当に優しいんだと思った。女子は合理的でこざっぱりと切り捨てたわけでもないんだろうが、先生の家庭の事情を忖度した。
お葬式に出ないとかお知らせが来ないとやっぱり人の死もはっきりしなくなってくるのだ。
以前は自分が死んだら、家族葬にしてしばらくしたら知り合いにハガキで知らせるだけでいいと思っていたが、そういうのは人の生き死にも曖昧になっていくね。
葬式に出てはじめてその人との別れをはっきり実感し、それまでの自分との関係を思い起こしたり考えたり区切りやけじめをつけるんだね。
死んでしまえばなかったも同じこと・・・・では決してないのだ。
葬式は残されたそれぞれの人々にとって大事なことなんだ。
ラベル:生き死に