2022年05月31日
小さな喜び
運転中に自転車に乗った中学生ぐらいの女の子が脇を通った。
鼻歌でも歌っているように首を振りながらニコニコしながら。
何か楽しいことがあったのかな?
見たら腕組み王女も嬉しくなった。
楽しそうな女の子を見るだけでこちらも嬉しうれし楽したのし。
こんな場面はこれまでも何度もあったかもしれないが、自分がこんな何気ない ちょっとしたことでルンルンの気持ちになったとはっきり自覚したのに驚いた。
そういえば庭の芝の植え替えや雑草取りで大小のミミズや、名も知らぬ丸まった幼虫がたくさん出てくる。
以前はキャー、もうヤーメタと放り投げていたが、今ではミミズも愛おしい。
指で摘んで他の場所に移してあげる。小虫でさえ けな気に見える。
どんな生き物も一生懸命生きているのだな。
それがこの2年半のコロナ禍のお陰様かな?
昔はただただ慌ただしく急いで駆け出して生きていたなァ。
以前はお年寄りを見ると丁寧に生活しているな、でも自分はガサツに忙しがっている・・・と思っていた。
しかし、これはコロナのおかげというよりも自分が年寄りになったということか?
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見ることができるんだね。 早さは同じなんだけれど ウロウロしているうちに行きすぎてなんて早くいくのだろうと思うのかもね
年を取って 人間に戻って いろんな配慮ができるようになるんだよね皆が幸せになってほしいと切に願うようになったもの まだ虫にまで愛は注げないで
いるけれど 目が半分しか見えず 耳も半分しか聞こえず 見逃したり
聞き逃したりで ひどいことしないでも済んでいるのかもしれないね
子供の頃から自分が一番と思ってきた。この考えは子供心にも揺るぎなく正しい!と。まず自分。最初に自分が幸せになる。自分の決めた道を行く。これは人を押しのけてという意味じゃないが、自分が幸せでなくてどうして人を幸せにできるのだ。親も兄弟も親友もかけがえなく大切だけど夫も子供もものすごく愛しているけど、まず自分が満足して力が漲っていること。それから周りを愛して助け優しくする、と考えていた。
今日この頃、神様系のご本を読むと、これ正解だったと思う。でも自分勝手な我儘なやつと、思われそうだけど。